と金堂

怪と幽11号掲載インタビュー 全文掲載

2023.09.09

インタビュー と金(妖怪日本画家)

日本画の技巧で見えざるモノを描く謎の妖怪画家が個展を開催!

絵画展「幻想図」

2022年、美術界に突如として現れた、謎の妖怪画家・と金。素顔も経歴も不明。名のある日本画家として活躍し、将来有望な若者たちに教鞭をとっているらしいとの噂だが…。9月、ついに個展を開催する、と金の素顔に迫る!

取材・文=立花もも

別名義で妖怪を描く理由

――個展「幻想図」開催おめでとうございます。それにしても過去の経歴、現在の立ち位置ともに美術界では高い評価を得ているはずの作家が、なぜあえて別名義で妖怪画家を名乗ることに?

と金 風景にせよ生き物にせよ、目に見えるものをまずは取材して、しっかりイメージを温めてから描き出す、というのが、日本画家としての私のポリシーです。でも妖怪は、目に見えないでしょう。私の頭のなかだけに広がる、この世のどこにもない情景を描くということは、日本画家としての私がやってはいけないことだったのです。もちろん、日本美術界においてそうした幻想風景が禁じられている、というわけではないですよ。有名なのは円山応挙の幽霊画ですが、歌川広重などの浮世絵師をはじめ、古今、さまざまな画家が自分だけの幻想風景を生み出してきましたからね。あくまで私個人のポリシーに反する、というだけなのですが、個人的なことだからこそ破るのはなかなか難しい。でもだからといって一生、目に見えるものだけを描き続けるのも、つまらない。だったら自由に絵を描ける別名義をつくろう、と思ったわけです。

――そもそもどうして、妖怪画を描こうと思ったのでしょう。

と金 単純に、子どものころから妖怪やおばけが好きだから。小学一年生のとき、東京・八重洲ブックセンターで水木しげる先生の『妖怪入門世界編』を買ってもらったときのことは、いまだによく覚えていますが、テレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』は、リアルタイムで放送されていた第三期も、夕方に再放送されていた第二期も夢中で観ていましたし、物心ついたときから絵を描くのが得意だったので、自分なりに一生懸命、模写したり空想上の妖怪を描いたりして遊んでいました。『キン肉マン』や『ウルトラマン』などの絵も好きで描いていたので、特別妖怪だけに夢中になっていたわけではないですが、『機動戦士ガンダム』といったメカものには興味がなかったので、有機の線に惹かれるものがあったのでしょう。まっすぐ線を引くのが苦手だったのかもしれない。曲線のほうが、自由ですからね。

――そうして最初に描いたのが《鎮守 だいだらぼっち》。小さな鳥居のうしろにそびえる巨大な鎮守の森。真っ赤な空に浮かび上がる黒い影。そのコントラストが印象的です。

と金 実家の近くにはいくつか鎮守の森をもつ神社があって、幼いころからその風景を見るたび、神秘性のようなものを感じていました。一応、妖怪名はだいだらぼっちとしていますけど、別に違う名前をつけたって、いいのです。山を動かすほど強大な力をもった何かの象徴として、昔の人が具現化したものだと思うから。私が描いたような姿をしているとは限らないし、もしかしたら別の地域では別の名前で語り継がれているかもしれない。妖怪画を描くにあたって、専門書を読んだり、資料をあたったりはしていますけど、その土地の文化を反映した存在であるというところも興味深いなと思います。

妖怪は人間が生み出した芸術

――同じ幻想でも幽霊ではなく妖怪を選んだ理由も、かたちがさだまっていない自由さにあるのでしょうか。

と金 実は私、幽霊は存在するかもしれないと思っているんですよね。目撃したことはないけど、いつか視えることがあるかもしれないと恐怖を感じてもいる。だけど妖怪は、存在しない。なぜなら妖怪は、人間が生み出した芸術だから。自然に対する畏敬の念や、理解のつかない状況に対するおそれといった、人間の内面性がかたちになったものなので、悪さをするものだけではなく、時にかわいらしく無害なものもいる。だからこそ無限に、自由に、想像することができるのです。ただ、妖怪画って意外と過去に縛られがちで、歌川国芳や葛飾北斎の焼き増しみたいな絵がとても多いのですよ。それこそ、水木先生が生み出したイメージから抜け出せず、オリジナリティを作り出せない人たちも少なくない。それだけ水木先生が偉大ということでもありますが……。私も、たとえば《吃驚鵺》を描くときは、鵺がどんな姿をしているとされているのか、いくつか文献を調べはしましたし、自由を得るためにはある程度の知識に裏付けされた下積みも必要だと思っています。けれど〝こうあるべき〟と決めつけて、誰にでも描けるような姿、構図を選んでいては、あえて別名義で挑戦する意味もない。できるだけ固定概念を脱ぎ捨てて、私らしい表現をめざしていくつもりです。

――と金さんの絵は、妖怪の姿かたちよりも、物語性のある構図が印象的ですよね。たとえば岬の白い灯台に向かって、空から降りてくる白い手を描いた《神の手》。優しげなイメージなのに、どこかへ連れていかれてしまいそうな、静寂な平穏を唐突に壊されてしまいそうな、そんなおそろしさも垣間見えます。

と金 一見、救いを与えてくれるようにも見えますが、差し伸べられたその手をとることは、果たして本当に自分の身の丈にあっているのか。強大すぎる力を手にすることは、それが仮に善いものであったとしても、自身を破滅させることにもつながっていく。そんなイメージをもって描きました。《深更海坊主》という絵は、悲劇や災難というのは起きたときが始まりではなく、実は、寝ているあいだに静かに迫ってくるものなのかもしれない、と考えたことが基盤になっています。その瞬間がくるまで、日常は美しく穏やかであり続ける。その対比を表現できたらいいな、と。妖怪そのものというより、見る側の想像力をかきたてるよう、気配を感じられるような絵を描く、というのは私の特色かもしれません。妖怪を描くにはやっぱり鵺は欠かせないよな、という個人的な好みが発端になることも多いですけどね。

――そんななか、《子夜》で描いたカワウソは、擬人化されているものの、ちょっとほかの絵とテイストが違いますよね。

と金 日本画家として動物を描くことも多いので、そういう意味ではいちばん私らしい作品かもしれません。ただ、なにげなくスケッチしたときに「これはと金名義でいこう」と決めたのは、この世は人間だけが住んでいるわけじゃない、という想いがあったから。キツネやタヌキなど、現実の動物がそのまま妖怪として語られることも多いですが、彼らもまた人間と同じように暮らしているとしたら、と考えるのは楽しいですし、子どもが見たらおもしろがってくれるのではないかなあと、わくわくするような気持ちもこめて描きました。現実には存在しない、だけどまるっきり嘘じゃないのかもしれない。そんな塩梅を探って、これからも描いていきたいと思っています。

絵を本気で楽しむために妖怪を描く

――存在しないものも描くようになったことで、日本画家としてのご自身にも、なにか変化はありましたか?

と金 日本画家としての制作は、キャリアを積んだ今では人間関係が既に構築されていますし、良くも悪くも自分ではない誰かの意思が影響することもあるでしょう。そうすると、ただ自分の楽しみのためだけに絵を描く、ということだけではなくなってくる。すなわちそれは成果を残していかなければならないプロとしての仕事なのです。と金名義の制作は、より趣味の領域に近いというか、題材も締切もすべて自分で決められるし、今回の個展に関しても、自分の想いを前面に押し出してプロデュースすることができる。それは、作家を続けていくための重要な息抜きなのだと感じています。と金名義を続けるためには資金も必要だ、と思えば、本業のモチベーションも増しますし(笑)。二つの名義をもったことで、より〝本気で絵を描く〟〝本気で楽しむ〟自分に改めて立ち返れたことは、よかったなと思っています。

――個展では十数点飾られるんですよね。ほかの絵も、間近で見るのがとても楽しみです。

と金 素性を隠しているため、私が会場に立つことはないので直に解説はできないのですが(笑)、そのかわり理屈抜きに楽しんでいただける展示にするつもりです。会場で販売する図録は、大人の絵本をイメージして、いくつかの絵に文章を添えようと思っています。若いころは小説を書きたいと思ったこともあったけど、その一歩を踏み出すことはいまだできずにいます。だけど私のなかに物語はある。その一瞬を切り取り、みなさんの想像力をさらにかきたてるものとして、お届けしたいと思っています。

初出=「怪と幽」vol.011(KADOKAWA)

https://www.kadokawa.co.jp/product/322102000144/

と金の活動について

2023.01.25

幼少期、海や山河に身を置いたときに得た感動や、その裏で感じた自分の無力さ。

遊び疲れた逢魔が刻に、深く変化していく森の奥の奥の色。凝視することを拒みたくなるような海の闇。

そんなこの世の裏側を垣間見るような得体のしれない力に、子供心は不思議と魅かれたものでした。

何故かというと、それは単純な恐怖ではなく、畏敬の念に近い感覚だったからです。

それらは大人になり、自然に身を置くことの少なくなった現在でも姿形を変えて私の心には存在します。

どうにもならない理不尽な悪意。目を背けることのできない、または目を背けることしかできない賊心、組織を政治利用する不毛な野心や愚行。

民草目線で見ると、人々に気配を消し忍び寄る罪過。国民すべてを欺く巨悪などもその類では無いしょうか。

それらの言葉にし難く、声にすることを憚られる何かを、過去の芸術家たちは視聴覚に訴える形として表現してきました。

その象徴として、画家は妖怪や幻獣、霊獣や都市伝説などを生み出し、滞留した世の中を風刺し、時に笑い飛ばすことにより、人々が日々抱える様々な衝動を上手に消化する役目を果たしてきたのです。

私も芸術家である以上、先人達からそのバトンを受け継ぎ、時にはシリアスに、時にはユーモアを交えながら、画室から世間と対話していければと思っています。

個展を終えて

2022.10.12

個展会場の受付から

「と金」の初となる個展、本日無事に終了いたしました。たくさんの方にご来場いただき、感無量でおります。

「ギャラリー蔵」のある御茶ノ水では、ちょうど週末にイベントを開催しておりましたので、お子さん連れのご家族にも数多くご来場いただきました。妖怪の絵なので、お子さんが怖くて泣き出さないか、少し不安になりましたが、そのような心配など無用だったようで、妖怪の話を楽しそうにしている様子を伺うことができました。

「ぬえ」っていうんだよ、とお母さんに教えているお子さんもいらっしゃって、どこで知ったのかしら、なんてお母さんは不思議に思ったのではないでしょうか。

ちらっとアンケートを覗かせて頂きましたが、もっと作品を見たいというお声をたくさん頂いております。新しい歩みを始めたばかりの「と金」の制作活動の大きな励みになると思います。温かいお言葉をありがとうございます。

この度の個展をインスタグラムや雑誌でお知りになった方、はたまたダイダラボッチに誘われるかのようにギャラリーに辿り着いた方など、出会い方は様々であったとしても、ひとえにこの出会いに感謝したいです。

また皆様にお会いできることを楽しみにしております。

今後とも「と金」の応援を宜しくお願いいたします。

と金堂スタッフT筆

個展初日

2022.10.01

と金「幻想図」始まりました。

御茶ノ水ソラシティという複合施設の中に会場のギャラリー蔵が在ります。

飲食店とオフィスが共存する明るい複合施設の至る所に展覧会のポスターが。

ここまで地域を上げてバックアップしていただけるとは。

とても有り難い。

御茶ノ水は、古書店や文化的施設の多い神保町や、世界の秋葉原と隣接していて、家族で宇一日中楽しめる場所です。

街散策のお供に、と金「幻想図」にお立ち寄りください。

宜しくお願い致します。

と⾦ 日本画展「幻想図」
会期 2022年9月30日(金)~10月12日(水)
   平日11:00~19:00 土日祝10:30~18:30 
   会期中無休 ※最終12日は17時まで  
会場 Gallery 蔵

〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台4-6 御茶ノ水ソラシティ

と金日本画展「幻想図」に向けて

2022.09.10

この度開催される、と金日本画展「幻想図」を、さまざまな媒体でご紹介いただいております。

第一弾としては、現在KADOKAWAから発売されているMOOK「怪と幽」に、作家「と金」の展覧会告知を兼ねたインタビュー記事が4Pも掲載されています。

このインタビューは「と金」の作家活動におけるコンセプトの全てが語られています。

今後、展覧会が近付くにつれ、雑誌「芸術新潮」「Pen」などに記事や広告が掲載される予定です。

そして、個展で販売予定の本「幻想図」も出版作業に入っております。

表紙デザイン

本のデザインはデザイン事務所leeks work様と相談しながら進めました。

leekswork様は、今回の展示のフライヤー、ポスター、広告、その他グッズのデザインを担当して頂いております。感謝。

手間も暇もかけて個展の準備は進みます。

最新情報は随時お知らせいたしますので、引き続き応援よろしくお願い致します。

と金堂スタッフT筆

神の眼

2022.08.22

140 × 110cm

 

神獣は

時に猛々しく

時に神々しく

罪深い我々を庇い続ける

だからこそ怒らせてはならない

崇め続けねばならない

視点を変えれば

黒い闇を人類に降り注がぬよう

彼らはあえて

直に触れることのできぬ境界の外側

遥か遥か彼方にいるのだ

戯れ

2022.07.28

個展開催のお知らせ

2022.07.21

作家「と金」の初の個展が決まりました。

会期は9月30日~10月12日。会場はお茶の水にあるギャラリー蔵です。

(展覧会詳細は下部)

ギャラリー蔵とは、書籍商の書庫蔵として1917年に上棟し、その後「淡路町画廊」として多くのアーティストや地域住民の方々に親しまれてきた蔵で、神田駿河台から淡路町の再開発のなか、御茶ノ水ソラシティとワテラスのちょうど真ん中にギャラリーとして復元された建物です。

ギャラリー蔵 外観

明治から大正に向かっていく中、時代の西洋化に対し職人達は江戸で培った伝統の技術を新しい技術の中に取り入れ、様々な趣向を凝らした意匠の施行に腕を振るいました。そこには、職人による木材の選定・組立技術、また内部の木材装飾への細かな配慮が感じられ、職人達による和魂洋才の心意気を随所に確認することが出来ます。

「と金」の作品だけでなく、ギャラリー自体の雰囲気を楽しめる展覧会。

お化け屋敷ならぬ妖怪蔵をお楽しみください。

と金堂スタッフT筆

1階
3階

と⾦ 日本画展「幻想図」

会期 2022年9月30日(金)~10月12日(水)

   平日11:00~19:00 土日祝10:30~18:30 

   会期中無休 ※最終12日は17時まで  

会場 Gallery 蔵 

   〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台4-6 御茶ノ水ソラシティ

HP「と金堂」https://tokindo.jp/

Instagram @tokin_do

Twitter @tokin_do

子夜

2022.06.08


動物たちは同じ地球に住みながらも、
人間とは生息する世界が微妙にずれている。

そのずれが悪戯に矯正されたとき、
野生の存在は脅威となり、
時に不幸な出会いを生む。

そのため動物の中には、
狸、狐、猫、犬、猿、獺など、
存在が擬人化され、
妖怪に分類されることもしばしばあるのだが、

それは人間らしい、なんともおこがましい考えだ。

彼らからすれば、
こちら人間こそが妖怪のたぐいなのではないか。

地球上の生命すべてが、
それぞれ主人公の物語を生きているのだから、
それを破壊していく我々こそが、
質の悪い、邪悪で愚かな生き物である。

天網恢恢疎にして漏らさず

そのすべてを見透かすような眼差しで、
彼らはじっとこちらを見ている。

鬼視快晴

2022.06.08

黙っていられないほどのもどかしさ

批判や怒り

ときに思いやりや老婆心でさえ

自身を安心させるための、

便利な感情なのではないか

だからこそ

鬼のような強い心で沈黙を貫き

ひたすら動静を見守ることも必要だ

その心は祈りとなり、よどんだ雲を追い払った

そしてその青空が

豊穣など、疾うに諦められていた枯れ古木に

色彩豊かな美味しい果実を実らせた