ト或ル海
2024.11.13
不思議が聞こえる
銃を肩にかけ、やっと見つけた獲物をじっと見つめる。
勝ち目の薄い相手だからこそ、威厳をもってこの戦いに挑みたい。
「起きるまで待っててやろう。」
随分前からとても小さな気配を感じていた。
薄目で確認できる距離に、安隠ともいえる殺気を確認する。
「百年眠る予定ですけど、この人大丈夫だろうか?」
今この瞬間も、地球のどこかで繰り広げられている異世界交流が、
不思議な噂となって人々の耳に聞こえてくる。
そして知性を持つ人間が、そのひとつひとつを具現化し、
愛おしい物語がまた一つ生まれる。
龍神
筆者は、龍にまつわる伝説が古くから語り継がれる町に住んでいる。
ゆえに、龍は私にとってローカルヒーローといえるのだが、
例えば中国においての龍は常に皇帝の権力と強さの象徴であり、
西洋でも新約聖書には、七つの頭と十本の角を持つ竜が登場するなど、
決して土着的な存在ではない。
まさに世界で最も愛されている神獣が龍なのだ。
我が町の伝説によると、この土地には小さな龍が住んでいたのだが、
日照りが続き、田畑は干乾び、村人達は餓死をも覚悟する状況下、
その龍は身を捧げることと引き換えに、めぐみの雨を降らせたというのだ。
しかし私は思う。龍がそんなことで簡単に死んでしまうのだろうかと。
神の力を備えたその龍は、人のため、自然のため、
今でもどこかで万物を、
遠い空から見守ってくれているのではないだろうか。
ンチャク
房総半島の海岸に棲む妖精「ンチャク」。
一見、岩礁に生息するイソギンチャクのようだが、
目と四肢があり、陸地に上がることもあるようだ。
ンチャクは海水の透明度を保つ海の守り神である反面、
日ごろの行いが悪いと海難事故を引き起こされる等、
漁師たちにとっては恐れを抱く存在であり、
妖怪や悪魔に分類されることもしばしばある。
他の妖精、精霊たちより比較的目撃情報も多く、
館山にて十回以上ンチャクと遭遇したというお年寄りが、
令和元年の調査時には複数人いたようだ。
房総の精霊
通称「みのむ」は房総半島の深い森に棲むと言われ、精霊の一種である妖精のたぐいだ。
ミノムシのように木から吊り下がる形で生息しているが、
足があり、ときに山を駆け上がる姿が目撃されている。
精霊とは、霊の意味にももちいられ、なかには悪いものもいるが、
神にちかい力をもつものもいて、時に信仰の対象にもなりえる。
この世で非業の最期を遂げたり、生前悪魔に魂を売ったものが、
悪い霊となり様々な悪さをするのだが、
妖精はたまに悪戯をすることはあれど、基本的には人に対し無害である。
「みのむ」も例にもれず、人間と自ら接触することはない。
しかし彼らが棲む森は永久に豊かであると言われ、
地域によっては自然の守り神として祀られている。
蓮沼にて
「お前、動物なのか妖怪なのかハッキリしろよ」(河童)
「ふん、お前にソックリな人間もたくさんいるぞ」(獺)
部屋
病に伏せる者。病を治す者。
追われる者。追いかける者。
拒む者。導くもの。
壊す者、生み出す者。
隠す者。暴く者。
特別な何かを背負う者たちが、ただ運命に身を預け、天命を待つ部屋があった。
暗い部屋の中、眼差しに独自の光を灯した者たちが、たたらを踏みながらも旅立って行った。
その反面、くすぶり続ける者たちの、鈍い気配が未だ残る。
扶けの光が、障子の中の澱んだ魂に降り注ぐことは、無い。
狸
一面に広がる菜の花畑の向こうに、満開をむかえた桜の木が見える。
日本昔話に出てきそうな、なんてのどかな風景であろう。
しかし、なだらかな山の向こう、
つぶらな目をした奴がいる。
三百尺を超える大狸。
ゴジラやガメラ、ウルトラマンも顔負けの大きさを誇るが、
白衣と腰衣の大きさが、この巨象が虚像であることを示す。
狸が人を惑わす不思議な能力をもつことは、
日本では古の時代から認識されている。
この大狸も、変化の力を持つ古狸が生み出した幻影であろう。